算命占星術から時はくだり、算命学は中国春秋戦国時代に発祥したとされています。それまであった陰陽五行思想および、運命予測の技術を鬼谷子(きこくし)という人物があつめて「算命」と名付けたのが鬼谷算命学です。
戦乱の世に、鬼谷算命学の思想と運命予測は為政者にとって大変重要な意味があり、鬼谷子に学んだ弟子達が各地の有力な諸侯に雇われていくことになります。
それから200年後に戦乱を収め中国大陸の統一を果たした秦の皇帝も算命学を軍略につかいました。そして、軍略や治政に非常に有用な術である算命学を独占するため、宮廷外で勉強することを禁止。門外不出の学問としたのです。

秦の滅亡後に成立した漢でも、算命学を王朝内で独占するのですが、以降の歴代王朝でも王朝お抱えの占い師によって受け継がれ、発展していきました。
歴代王朝で独占された算命学ですが、王朝の崩壊のたびに算命学の一部が市中に流出し、それらが四柱推命、気学、九星術などの占いになったのです。

この記事の監修者

朱学院校長佐藤直樹

東京・上野に生まれる
早稲田大学高等学院、早稲田大学商学部卒業
10代より算命学を始め、奥義を習得、さらなる算命学の発展を目指す。